音に関連した多様な分野で活躍される方々をお招きし、弊社チーフサイエンティストの濱﨑が、「音」についての様々なテーマについてお話を伺う企画です。
第1回目は、現在finalが共同研究を行なっている、九州大学大学院芸術工学研究院の河原一彦博士にお話を伺いました。お話しいただいたそのままを文章にしましたので、読みにくいところがあるかとは思いますが、これによって、文章から話し手の言葉そのものを感じ取っていただけることと思います。
4時間ほど伺ったお話を、主たる項目に分けてお伝えします。パート6は『音響教育と民生オーディオ』です。
九州大学大学院芸術工学研究院 河原一彦博士
・音響教育と民生オーディオ
・音響教育と民生オーディオ
濱﨑:ありがとうございます。finalというのは、ヘッドホン・イヤホンを設計し、それから、それを販売しているわけですけれども。河原先生が、それこそ修士論文では、スピーカーに対して適応信号処理を使って、スピーカーの音を制御しようとされて、音響機器メーカに入られたら、DSPという、その当時で言うと、リアルタイムにある程度の処理ができるという中で、音が出るトランスデューサー、つまりスピーカーとかヘッドホンとかイヤホンを、信号処理を利用して、何か改善しようというようなことをされてきたわけでしょう。一方で、最近、使用者がスピーカーよりイヤホン・ヘッドホンを使う場合が増えてきているという現状もある中、特にモバイル端末がこれだけ普及してくると、音を聴く手段として、ヘッドホンやイヤホンというのは、非常に重要になってきている中、その求める音って言うんですか、良い音ってというのは中々あまりピンとこないですけど、河原先生にとって、スピーカーだとかイヤホンとかヘッドホンに対して、ご自身でどういう音を求めようとされているのか、されてきたのか、あるいは、求めようとしたら、どういう音を求められているのかみたいな所って、ご意見ありますか?
河原:Hi-Fiオーディオの先というか、僕が音響機器メーカに入ったせいもあるかもしれないんですけど、実は、音楽を聴くためだけではないスピーカーっていうのは、世の中にたくさんあるって気づいたんですね。民生オーディオとは、また違うスピーカーのあり方というのを知ったと。その上で、Hi-Fiオーディオのものと、おそらくスピーカーを作っている技術者の方は、もう気がついていて、どうしようかなと思っているんだろうと思うんですけど、いわゆるフラットネスというか、平坦特性をある程度実現する作り方が、実現できてしまうような時代になったと。そうすると、スピーカー、特にトランスデューサーの個性って、なくなるわけですよ。スピーカーの存在自体が意識されないような状態になるわけです。これは、おそらく望ましい状態だと思うんですけど。望ましいというか、1つの目標ではあるんです。だからみんなが同じHi-Fiという、トランスデューサーの特性が、ゲイン、利得が平坦で、位相ひずみがない状態というのを目指していくと。そうすると、おそらく迫力とか、スピーカーらしさみたいなものは、どんどんなくなっていくだろうと。それが、スピーカーっていうのを意識されないくらい品質が上がったということなんですけど。品質が上がったことによって、そのデバイスが意識されなくなるというようなことが起きるわけですね。これ例えば自動ドアみたいなもので、扉の前に立ったら開くのが当たり前っていう世界に行ってしまうと、扉が開かないことが信じられなくなるわけです。技術が成熟すると、扉の前に立ったら開くのが当たり前でしょ?みたいになるわけです。スピーカーも、品質がある程度達成されてしまうと、スピーカーという存在自体が意識されない状態になるっていう、何のためにやっているのか分からなくなる所まで、スピーカーの品質の管理の工程って追いついちゃったと思うんですよ。この後は、どうするかというと、聴き手側が、ある程度訓練というか、意識を持ってどういう音楽をどういうふうに聴きたいかっていうのを選ぶ時代に、選び手も選ぶリテラシーを学ばないといけない。例えば自分は、こういうジャンルの音楽を、こういうふうな部屋で、こういうふうに聴きたいから、このスピーカーなり、このイヤホンなりを選ぶというリテラシーが求められるようになるんじゃないかなと。そういう時に、僕は高校生なんかに公開講座の時に声をかけているのは、自分の好きな音楽をYouTubeでもいいから、ヘッドホンの売り場、イヤホンの売り場に行って、ちゃんとできるんだったら試聴して買いなさいと。イヤホンって、機種が変われば聴こえ方が違うのを今日、体験したでしょ?って。そういう選ぶためのリテラシーを消費者というか、聴き手側も付けないといけない時代なのかなと思っています。そのためには、ちゃんとした教育をしないといけないですね。
濱﨑:今、スライドに音響教育と民生オーディオっていうことを出されていますけれども。オーディオに限らずですけど、すごく代表的な例が、国際標準規格、例えばIECとかISOとか規格をずっとやってきた人たちと最近話をすると、自分たちで規格を作れる所がなくなってきていると。前までは、ハードウェアがあって、そのハードウェアを共通化するために、色々な標準化をしてやってきた。ところが、それがソフトウェアベースになって、そこを標準化で縛れない。そうすると、品質評価がこれから標準化というスタイルでは重要になっていく。じゃあ、その評価をどういうふうにして評価したら良いのか。単純に音が良いとか悪いとかではなくて、先ほど、先生がハッピーだとかおっしゃいましたけど、クオリティ・オブ・ライフ(QoL)って、結構最近よく言われていて、そのハードウェアなりソフトウェアなり電気なり電子工学なり、色々な技術を使って得られる物体が市場にあるわけですよね、それによって、どれだけ品質なり生活が豊かになっていくか、ここを何か規定していかないと、標準化という従来型の考えも厳しくなってきていると。オーディオという文化でもあり、趣味でもあり、映像から比べると歴史が長い、アナログからデジタルから信号処理から、色々なことをやられて、すごく形態も変わりつつ、でも音楽という芸術がある中で、これから民生オーディオというものが、どういうふうに変わっていこうとするのか。あと、先ほどからお話があった聴能形成に代表される、それを楽しむためのリテラシーをどういうふうに一般の人が何か経験できるのか、享受できるのかみたいな、すごく漠然とした話ですけど、そういった観点から何かお話を伺えればなと思いますけれども。
河原:答えになるかどうか分からないんですけど、僕自身、1つは、聴能形成みたいに、トレインド、訓練された耳を持っている人が音質評価に加わるというのは、色々な所で、その有効性は示されているので、その傾向は変わらないだろう。この先、よりトレインド、訓練された聴取者というのは、大事にされるだろうと思います。その先に、どういう訓練、訓練されたっていうことの内容が問われることになるだろうなと思っています。民生オーディオではですね、今、すごくバランスが悪い状態で、デバイスなり、インターネット、配信の基盤とかがすごく普及しているのに、聴くトランスデューサーの品質がどうなんだろうとか、あと、仕組みが見えなく、昔、70年代80年代だと、コンポーネントステレオがあって、音源があって、アンプがあって、スピーカーがあるという状態だったのが、例えばミニコンポにしても、全部1つの箱に入っているというような状態、そういうデバイスで音楽を聴いていればまだ良い方で、スマートフォンを机の上に置いた状態で、YouTubeをずっと見ているという高校生とかも多いと。
濱﨑:スマートフォンに内蔵されているスピーカーで聴いているということですね。
河原:そうですね。なので、今イヤホンなり、例えばスマートスピーカーでもいいから、つないだら何か聴いた印象が彼らは変わるのだろうか、変わらないんだろうかっていう、僕も、そこを調べてもいいことなのかなって心配ではありますけれども、調べてみたいんですよね。海外、AESだと、MP3と非圧縮の音源をトレインドじゃないティーンエイジャーも聴き分けられるっていう報告もあるんですけど。実際、音楽聴取体験として、彼ら高校生、ティーンエイジャーが求めているものは、どんな聴取体験なんだろうなっていうのが分からなくなってきたんです。だけど、きちんと調整したシステムで音を聴いたら、どう思うんだろうな、その体験は、彼らにとってポジティブな体験なのか。それが、もしかしたら過剰なというか、本来、必要としていない体験なのだろうかとか。そういうのをこのインタビューの準備をしながら迷いましたね。通信、オーディオが趣味として成り立つためには、色々な音を聴く体験とか、コミュニケーションの体験を高めるための基礎知識をきちんと整理して提供する必要があると。僕自身が、子どもの頃に読んだ子供の科学みたいな雑誌だったり、そういうラジオ技術みたいな雑誌が、あまり高校生とかにリーチできていないように感じるんですね。それが時代の移り変わりによって、仕方のないことなのかもしれないですけど。そうでなければ、もうひと踏ん張りして、こういうことを知っていると、音を聴く時のリテラシーとして役に立つ、聴き分けどころを理解できるよっていうようなことを教育関連書としても、次世代に残しておかないといけないなって思っています。
濱﨑:高校生がスマートフォンから流れてくる音楽で事足りているというようなお話がありましたけれども。じゃあ、毎年芸術工学部には新入生が入ってくるわけですよね。その新入生たちと例えば聴能形成の場、あるいは、3年生4年生になって、それこそ河原先生の研究室に来て、何人かの若い人たちと毎年、新しい出会いをされています。その学生たちは、こういったシステムで音を聴く体験とか、あるいは、小学校から中学・高校で得てきた体験というのは、年ごとに変わってきているんですかね。その辺りは、肌で何か感じていらっしゃいますか?学生の移り変わりを見られて。
河原:とにかく、イヤホンで音楽を聴くことに対して抵抗というか、敷居がすごく低くなっているというか。自己紹介とかを聞いていても、イヤホンの話はするけど、自己紹介でスピーカーの話をする人は、3年に1人くらいな感じですっていうような所は、感じています。
濱﨑:そういう人たちが、大学で授業を受けたり、実験をしたり、3年生くらいからスピーカーで音を聴く機会があるわけですね。そうすると、どうなんですかね。スピーカーに対して、何か発見をするのか、イヤホンやヘッドホンというのは、やはり音楽を聴く上では非常に良いんだということなのか。
河原:おそらく例えばサークル活動とかを通じて、ライブの仕込みをするとか、そういう時に、大きな業務用のSR用のスピーカーをセッティングして組み立てて調整してということを経験していると、スマートフォンで何でも済んじゃうっていうような人も、音楽とスピーカーの関係というのをそれなりに理解できるみたいですけれども。うちの大学の学生は、ある程度そういう体験ができるにしても、そうでない人々は、何でもスマホで済んじゃうというか、済ませたいというか、そういう傾向があるように思うなと。
濱﨑:確かに音響設計の専門学科に入ってくるということは、少なからず音に興味があって入ってくる学生でしょうから、一般の大学とは普通に比較はできないでしょうし、一般の大学の場合、そもそもスピーカーさえもないという所もあるかもしれませんね。そうすると、芸術工学部は特殊な状況なのかもしれないですけどね、おっしゃる通り。
河原:うちの娘が1人、今年の春から社会人になって、就職祝いでBluetoothスピーカーが欲しいからとか言って、一緒に見に行って買ってやったんですけど。スマートフォンからの音じゃなくて、スピーカーで聴くっていうと、迫力があって良いとか、面白い・びっくりしたとは言ってました。だから、そういう体験をもっと色々な人にして欲しいし、業界としても、イヤホンをはずしても楽しい聴き方ができるんじゃないかっていう提案はしてもいいのかなと思っています。下の娘は、ずっとYouTubeを机の上に、スマホを机の上に置いて、ずっとそれでYouTubeを見て。「何かつなげよ」って言っても、「面倒くさいもん」で終わってしまう、お父さんの立場がない家庭です。
>>続きを読む:Vol.1-7 『今後目指すもの』