オーディオ・音響分野専門家に訊くvol.1-2<br>九州大学大学院芸術工学研究院 河原一彦博士<br>  『音に興味を持ったきっかけ』

オーディオ・音響分野専門家に訊くvol.1-2
九州大学大学院芸術工学研究院 河原一彦博士
『音に興味を持ったきっかけ』



音に関連した多様な分野で活躍される方々をお招きし、弊社チーフサイエンティストの濱﨑が、「音」についての様々なテーマについてお話しを伺う企画です。 第1回目は、現在finalが共同研究を行なっている、九州大学大学院芸術工学研究院の河原一彦博士にお話を伺いました。お話いただいたそのままを文章にしましたので、読みにくいところがあるかとは思いますが、これによって、文章から話し手の言葉そのものを感じ取っていただけることと思います。 4時間ほど伺ったお話を、主たる項目に分けてお伝えします。パート2は、『音に興味を持ったきっかけ』です。


九州大学大学院芸術工学研究院 河原一彦博士


・音に興味を持ったきっかけ


濱﨑:ありがとうございます。ずっとそういう意味では、大学から今に至るまで音に関した実務やら業務やらをやられてきているんですけれども。音に対して、どういうふうに興味を持たれたのか。そもそも、なぜ芸工大に入ろうということになったのかみたいなことをよろしければ、お話しください。

河原:このインタビューの準備をするのに、自分は、どの段階で音に興味を持ったのかなというのを思い出していたんですけれども。実は、最近の音響設計コース・音響設計学科の学生さんのように、楽器から入ったわけじゃないんですね、僕の場合は。割とメカとか機械を分解したりするのが、色々なものを壊して、分解して、元に戻せなくなっていたらしいです、母に言わせると。それでですね、小学校の何年生の時か覚えていないんですけど、小学生の時だったことは確かです。もしかしたら、2年生くらいか3年生だったかもしれないですけど、クリスマスか誕生日プレゼントか何かに、学研の電子ブロックっていうのをもらったんです。何だ?これって、全然当時欲しいと思ったものとは違った。でも、もらったから遊んでみるかと思って、説明書と部品を眺めていくと、ラジオになったり、ブザーになったりするわけですよ。これは何だ?っていうので、電子回路というのがあるらしいと、電子工学という言葉があるらしいというので、色々電子工学の説明書を隅から隅まで読んでも、そんなに大した説明はないわけですよ。この部品はトランジスタですとか、この部品はダイオードですとかしか書いていないし、何だろうと思って、もうちょっと知りたいなと思って。子供の科学か初歩のラジオか、どっちかを、こんな雑誌があるぞと思って、本屋で買ってもらって、定期購読するに至ったんです。どうやら初歩のラジオは、ラジオ番組のことじゃなくて、ラジオの機械のことの話らしいということで、ラジオ・無線工学とかを色々書いてあるのを読んで、よく分からないことも多いけど。それから、いわゆる電波とかに興味を持って、アマチュア無線の免許を取りました。たまたま地域の公民館が新しくできて、無線部というのを作ったらどうかって言った人がいるのか知らないけど、子どもを募集していたので、そこで週1回勉強会みたいなのを。アマチュア無線を楽しむには、まず免許が必要ですと言われ、そういう勉強会に行ってました。で、通信をしたりとか。高校では、無線部というのはなかったんですけど、物理部という所で、アマチュア無線とか、色々な回路を組み立てたり、改造したりとかしていました。その中で、オーディオ、多分おそらく初歩のラジオには、オーディオの記事もあったんだと思います。無線だけじゃなくて、オーディオのアンプの回路で色々種類があるらしいとか、新製品とか新技術とかがあるらしいとか、スピーカーは、こういう仕組みになっているらしいとかいうのを勉強したりとか、別冊の特集を買って読んだりとかしていました。当時、アマチュア無線も回路に手を出すことは、僕としては難しかったんですけれども、高校生にできたことっていうのは、アンテナを作ることですね。だから、電線の長いのを買ってきて、校舎の上にこっそり張り巡らせたりして、色々なアンテナの同調だとか、共振ですね、そういうのを調べたりとか。実は、CQ ham radioという雑誌に僕が作ったアンテナの記事を投稿したりとかしていました。なんとなくですね、電波そのものって実際に体感するのって難しいなと思っていたんですけど、オーディオだと聞こえる周波数だから面白いっていうのは思っていたみたいですね。そういう中で、進路指導とかで国立大学の学部・学科一覧みたいなのを学年集会とかで配られて、めくっていると、九州芸術工科大学音響設計学科なんていうのがあって、「何だ?こりゃ」っていう、「なんか他の学科と違うぞ」って思って。それから、調べるっていっても、当時インターネットもないですから、大したことが分からないんですね。だから、割と博打みたいな感じで受験して、音響の勉強をするに至った感じですね。

濱﨑:その電子ブロックというのは、ご両親からプレゼントされたんですかね。

河原:ええ。

濱﨑:それは、例えばお父様が理系の方、あるいは、電子工学とかをやられていたんですか?あるいは、機械を分解する先生の様子をご両親が見ていて、この子はこういうのにきっと興味があるだろうみたいなことだったんですかね。

河原:当時、どういう理由で電子ブロックになったのか覚えていないんですけど。聞いたことがないんですけど。父親が放送局に勤めていて、カメラマンだったんですけど。技術系の方とも割と親しくしていたようで。おそらく、その技術系の方が、「こんなのあるばい」って教えてくれたんじゃないかなって思っています。その方とは、何回か子どもの頃に会ったりしたことがあるんで。本当、なんか突然目の前に現れたダンボール箱に入った部品で組み立てられるもので。もちろん、ブロックだから分解とかもできるしっていうので。そういう意味で、両親がどういう意図だったのかなって聞けないですけど。聞いたこともない。

濱﨑:でも、大きなきっかけですよね。

河原:そうですね。これがなかったら、電子回路とかに興味を持つことは、なかったかもしれないですね。

濱﨑:多分その頃、何かがきっかけで、興味が決まっていくんですよね。

河原:うん。だから部品を間違えると、違う高さの音になる、ブザーとかだと。だから、それを変えてみるとか、そういうこともやったりしていました。音が鳴らないのは、どこか回路を間違えているはずだからって、そういうアナログ回路のデバッグというか、そういうことも経験しましたね。

濱﨑:当時、先生が大学に入られた時、新入生の大学の同期生というのは、そんなに音楽をバリバリやっていた人がいた時代では、まだなかったんですか?

河原:半々くらいだったんじゃないかな。おそらくというか、僕も福岡のたまたま地元で高校生をしていると、やはり高校の先生とか予備校の先生が、九州大学に通したいわけですよ。九州芸術工科大学を受けますって言ったら、「なんで?」って言われて。

濱﨑:みんな言われますよね。何の理由があって、そんな変な大学に行くのかって、必ず言われる。

河原:僕、割と物理部だったからではないんですけど。でも物理部だったから、物理は一生懸命勉強したっていうのは、ありますけど。割と得意で。浪人した時は、共通一次の模試の平均点が100点っていうのを達成して、それで、そういうのもあって、浪人した時は「君だったら、阪大・京大とかも受かるだろうし、頑張れば、東大に受かるかもしれないのに、どうして九州芸術工科大学なんかに行くの?」って言われて。どっちかというと、九州芸術工科大学なんかに、どうして行くの?みたいな表現になるんですけど。大体親は説得できても、進路指導の先生をどう説得するかっていうのが、最大の課題みたいな感じだったんですね。僕らの同級生は。

>>続きを読む:Vol.1-3 『九州芸術工科大学、九州大学芸術工学が担ってきた音響設計とは』
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